青葉市子の曲に『海底のエデン』という曲がある。2020年に発表された楽曲で最近ではフランス語バージョンもリリースされた。この曲を聴いているとあることに気づいた。それは、この歌詞が意味するのは罪悪感を伴う男女の関係の歌なのではないかと考えた。
そもそもエデンは旧約聖書の創世記に登場した神が創造した地上の理想郷。そこにアダムとイブをすまわせて、純粋で無垢な平和を与えた。そのエデンには「命の木」と「善悪の知識の木」というものがあって、神は命の木の実は食べてもいいけど善悪の知識の木の実は食べてはいけないと言う。命の木の実は食べ続けると永遠の命がもたらされる木の実、善悪の知識の木の実はその名の通り「善と悪」が芽生えてしまう木の実。エデンは純粋無垢な世界なので善と悪の概念がない。アダムとイブはこの禁断の実を食べてしまい楽園を追放されてしまう。これを失楽園という。
ジョン・ミルトンの「失楽園」では善悪の木の実を食べる前のアダムとイブの性行為を「無垢で罪のないもの」として描いていて、純粋な愛と神に与えられた自然なもの。しかし禁断の実を食べ2人には罪の意識が芽生え、罪深さや欲望を抱くようになった。性行為自体が悪いことではないが純粋な行為ではなくなってしまったことで追放される。そんな人たちには永遠の命は与えられないと言ったところだろうか。
青葉市子の「エデン」はこの禁断の実を手にした2人をテーマにしているのかなと思った。とても短い歌詞の中で惑い、彷徨う様子が想像できた。
つまり「いつかあなたを〜堕ちるさなか」までが罪悪感。「きっと窓辺の鴎のように〜こえ」までが欲望なんだと思った。最後の「交配する花」は蛇を纏ったイヴを形容したものなのか、この「交配する花」という表現は生々しく美しい。
エデンは地上にある楽園でも、こちらは「海底のエデン」。もう沈んでしまっている。エデンが理想の家庭なら、これは壊れている家庭を意味して歌詞の中の2人は行き場のない関係に溺れているのかもしれない。その透き通る声でとんでもない歌を歌っている。
青葉市子は海外で凄い勢いでフォロワーを増やしていて、楽曲も全て英語表記になり海外での活動がより多くなりそうだ。
スズキロク
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