“リトル・ディセンバー”
小学生の時、毎年家族でスキーに行った。
家族と言っても父はいつも居なかった。
母と2つ年の離れた妹と僕の3人、2泊3日のスキー旅行だ。
師走の忙しい時期、父は毎年カゼをひいた。
家族の中では、その年のラストを飾る一大イベントになっていた。
父は頑なに「病院にはいかない」そう言って2週間以上も続く“カゼ”が治るのを
ただ見守る不思議なイベントになっていた。だから正確にはカゼかどうかもわからない。
“ひどく咳き込み声が出なくなる”
症状はそれだけだ、熱が出るわけでも、お腹を下すわけでも、食欲がなくなるわけでもない。
ただ声が出なくなる。寝込むでもなく普段と何一つ変わらず、毎朝原付バイクに乗り、仕事にも行き、食事もする。
母と妹はいつも明るく「えーまたー?」と半分冗談でも父の“カゼ”をすぐに受け入れた。
何一つ変わらない生活の中で父の「声」だけが失われた生活は僕にはとても恐ろしかった。
突然小さくなって、父がどこか遠くに行ってしまうような気がした。
父と僕は毎日のように、テレビゲームをして遊んでいた。ロールプレイングゲームが大好きで、
同じゲームを一緒にどっちが早くクリアできるか競い合ったりしていた。
夜更かしの許される父の進行状況に毎朝驚かされ、同時にちょっと勇ましく思えた。
クラスでも「りょうたの父ちゃんどこまで進んだ?」と鼻が高かった。
「今年は気をつけないとね」「今年は絶対大丈夫だから」
毎日の母の呼びかけもむなしく、父が“カゼ”をひいた。
“カゼ”は「アレェ・・・」や「ソレェ・・・」と数日間のうちに言葉を消していく
そんな12月のある日、僕らは半ば強制的に新幹線に放り込まれる。
宿泊するのは毎年同じホテルで建物の壁面が黄色で覆われていたため、
僕らはそれを“キイロホテル”と呼んでいた。
“キイロホテル”は最上階に大浴場があり、ホテルに着くと母と妹は真っ先に大浴場に向かう。
僕は一人、知らない大人に混じりお風呂に入ることが苦痛で仕方なかった。
知らない人の視線を気にしながら、湯気をかき分け大浴場にたどり着く。
「今年も会ったな」そう言ったのは、ホテルの従業員でも、大浴場の知らないオトナでもない。
大浴場の口からお湯を排出し続けているカッパの石像だ。
僕はたった一人で知らない世界に放り出された不安からか、
この石像に名前をつけ会話をするようになっていた。
声には出さず、心の中で会話をするという。
何年か前にそのカッパの石像には「モリマサ」という名前をつけた。
「1時間お湯に浸かっていることができたら、オヤジの声を一つづつ戻してやるよ」
モリマサはそう言って、試練を設け僕はそれに従いできるだけ長くお湯に浸かり父の声を取り戻せるように心がけた。
何時間も大浴場で過ごしたあと、部屋に戻ると「りょうたはここのお風呂が好きなんだよね」と母が言った。
このことは他言してはいけない。もしも誰かにバレたら父の声は戻らない。モリマサと僕はそう約束した。
スキーをし、食事をとり、そして大浴場でモリマサとの約束を粛々とこなす、そんな2泊3日のスキー旅行である。
最終日、大浴場を後にするとき「寂しくなるな」モリマサが呟いた。
帰りの新幹線はいつも混んでいて、大嫌いだった。
窓の外の真っ白な景色は退屈で仕方なかった。
トンネルをくぐるたびに窓に映る妹が変な顔をして笑わそうとした。
母も妹も旅行の間、父の”カゼ”のことに触れなかった、僕だけがモリマサとの約束を守り、父の声を取り戻す。
当時はそんな風に思っていた。東京に近づくにつれ雪のない、ただ寒そうなだけの風景に変わっていった。
母はじっと窓の外を眺め、僕らにこう言った「あんた達もカゼひかないようにしないとね」
それから、またぼんやり窓の外、遠くの方を見ていた。
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