【Column】#017「白と水色のカーネーション」 – 白と水色のカーネーション

2015年6月16日火曜日

今朝、祖父が亡くなった。

3週間前にちょっと体調を崩し入院、
一昨日退院し自宅に帰ってきていて、今日の午後会いに行く予定だった。

祖父のことは小さい時から「じい」って呼んでいた。
恥ずかしいので友達や周りの人にはおじいちゃんとかそういう風に言ってた。

僕は親戚家族の中で長男で、おじいちゃん子だった。
巨人ファンで原辰徳がドラフト1位で巨人に入団した年に僕は生まれた。
じいの部屋には原のポスターがずっと貼ってあった。
野菜が食べれなくて甘いものがだいすきなのも僕と同じだ。

じいは靴職人で靴屋を何店か経営していた。
学校から帰り、靴屋に行くといつも皮をトンカチで叩いて何かを作っていた。

入院中も僕のこと、仕事のことをずっと気にかけてくれていた。
僕がいくつもの会社を転々としてもその度に就職のお祝いをしてくれた、
独立した時もみんなが不安の中、1番喜んでくれた。
色んな人が僕から離れ、卑下し、孤独で仕方なくても、
いつも味方でいてくれたことが温かかった。

僕が19歳の時、はじめてデザイン会社というものに入社した。
右も左もわからず、何日も家に帰れずにずっと仕事をしていた。
明け方、じいから携帯に電話がかかってきた

「今、会社の下にいるから降りてきなさい」僕が外に出ると、

じいが車から顔を出し「ドライブに行こう」と言った。

渋谷のインターチェンジから高速道路を走る。
車内ではほとんど会話をしなかった。気がつくと僕らは箱根にいた。
たぶん行き先はどこでも良かったんだと思う。
できるだけ遠くに、何かから僕を遠ざけたかったんだと思う。
朝焼けに染まる車内、ひたすらに時間だけが流れていく、ぼーっと外を見てた。

しばらくするとじいが自分の生い立ちを話し始めた、
祖母と出会った日に白いカーネーションをプレゼントした話、
そのカーネーションが夜になって水色に見えたこと、僕の母が生まれた日のこと、
僕が生まれた日のこと、原辰徳のこと、ジャイアンツのこと、仕事のこと、お金のこと、
人と会う時は必ず握手をすること、自分に自信を持つこと、

そして僕はそのまま会社を辞めた。

最後にお見舞いに行った時、帰り際に手を伸ばし握手をした。
なぜだったかはわからない、もしあの日が最後だと知っていたなら僕はどんな顔で病室を出たんだろう。

今朝、母が泣きながら電話をしてきた。
6分38秒ほぼ泣いていた、ここはどこよりも静かな場所だと思った。
そして電話が切れた。

僕もすごく寂しい気持ちになった。

そして今日も何も変わらずに回る世界

仕事は大変だよ、たまに本気で逃げたくなるよ。
楽しく仕事なんて僕にはできないよ。1度もない。

僕には向いてないのかもしれないって何度も何度も繰り返して。

でもそうやって作ったもので泣いてる家族が笑顔になれたらいいな。


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